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歴史の古い外洋港があるからか、帝都に間近な交通の要所であるからか、
どっちが先だかは不明だが、そのような貌を持つヨコハマは それは物騒な土地でもあって。
裏社会の群雄割拠が最も盛り上がった末に、
とある顔役の遺産を巡っての“龍頭戦争”なんて呼ばれている大抗争もあったそうで。
そんなこんなの衝突の痕跡も生々しい、
抗争の遺物っぽい“租界”は ほどけないままな混沌を具現化したよな地区でもあって、
地元民でさえそうそう軽率に踏み込むのはためらわれるとされている。
そういう素地のある土地なだけに、
開放的な観光地も人出の多い繁華街もまた そうそう健全なばかりとも言えぬ。
裏社会に縁の深い怪しい輩も数多く闊歩しており、
油断をすれば因縁とやらを付けられかねぬ。
そんな危険な土地だけど、
特に異能を発動させずとも、あっさりいなせる それはそれは頼もしい人。
「…っ、一てぇな、どこ見て歩いてやがんだ手前ぇ。」
「おう、ひでぇ奴だな。兄貴が怪我しちまったぞ。」
雑踏の中での擦れ違いざまに、
肩が当たったと虎の少年へ絡んできたチンピラが数人。
「あ…。」
罵倒されて ひくりと肩をすぼめたのを見て、
臆病そうなひ弱な手合いと踏んだのか、嵩にかかって凄んで来やる。
怯える様子を嘲笑い、あわよくば有り金全部差し出させようとでも思うたらしかったが、
同じ雑踏の中、少し先を進んでたところから振り返ったそのまま、
「ああ"ぁ?」
俺の連れへ因縁つけてやがんのはこいつらかと。
見定めた相手へぎりりと差し向けた 堂に入った斜めな視線と同時、
地を這って来ての足元からせり上がってくるような凄味のある声で唸ったその途端。
ずんと図体もデカいの揃いだったはずの一団が、
なのに 声の主をチラ見しただけで ひぃっと情けない声を出し、
そちらこそ見るからにすくみ上がって見せて。
「あ。や…、なななな何でもないっす。」
「行くぞ、おい。」
「すんませんっ。」
あわあわと浮足立ってしまい、そのまま尻込みして通行人らを掻き分けるように逃げ出したから、
そんな変わりようへこそ 周囲の奇異なるものへという色合いの耳目も向いたほど。
結果として急展開に翻弄された格好の 敦の傍らまで戻って来てくれた兄人だったのへ、
「…し、知り合いですか?」
「知らねぇよ。」
当事者なのに頓珍漢なことを訊いてしまい、
それが可笑しいとくつくつ笑う 表情の変化がまた鮮やかで。
今日はマフィアとしての正装ではない、ちょっとこじゃれたジャケット姿、
見た目には威嚇するような要素は微塵もなくて。
だっていうのに、
凍るような眼差しで一瞥しただけで ゴロツキ数人をあっさり追い払ったほど、
相変わらず 強くて頼もしく、男気溢れる中也さんは。
こちらをぐるりと見まわすと、怪我はないか汚れちゃないかを確かめてから、
端正なお顔、なのに悪戯小僧みたいに にかりと口許を豪快にほころばせて笑ってくれる。
「敦が本気出したらどんだけおっかないか知らねぇで、いい気なもんだ。」
あの芥川と丁々発止の乱闘をこなせるのにななんて、
そんな風に言って呵々と笑って、さあ行くぜと手を引いてくれるところまで、
それはそれは行き届いているお人。
ただ一瞥しただけでゴロツキを震え上がらせ、
勿論のこと、巨悪相手の実戦でもアスファルトをむしり取るほどの強力な異能を使えるし、
異能を使わぬ自身の筋力も運動神経も半端じゃあない。
腕力も胆力も途轍もなく強靱な人なのに 臆病者の心情にも気配りしてくれて、
こちらが弱っておれば辛抱強く寄り添ってもくれる。
それだけじゃあ収まらず、
風流なことを一杯知ってて教えてくれるし、
グルメでもあって美味しい馴染みのお店によく連れてってくれるだけじゃなく、
ご本人もお料理の腕が ぴかいちで。
オムライスやローストビーフといった、敦でもよく知っているものから、
それまで聞いたことなかった “たらとアサリのあくあぱっつぁ”とか
“リコッタチーズのラザニア”とか “春キャベツとベーコンのキッシュ”とか
それは美味しい今どきのメニューまで、
他の機会に他所で食べて “…あれ?”ってちょっとがっかりしたこともあるくらい、
何でも美味しく作れてしまう、センスよくって器用な人でもあって。
こうまで出来た人って そうはいないと思う。
“…だから余計に、さぁ。”
マフィアの幹部なんて怖い肩書、ついつい忘れてしまうほど、
敦少年にとって大好きで大切な人。
でも、そういうわきまえというか分別というかとはまた別なものとして、
このところちょっとばかり もやもやんと胸の底にたゆとう想いがあったりするようで…。
◇◇◇
春になったなぁという実感は空の青からも感じられ、
桜の淡い緋色が映えるほど青が濃くなりつつある空を背景に、
それほど凝ってはないが瀟洒な外観のマンションに、退社後そのまま足を運んだ敦であり。
「…お邪魔します。」
「お〜、済まんな出迎えなしで。」
何か揚げ物でもあるものか、食欲に小気味のいいパンチで刺激をくれるよな
それは香ばしい香りがする室内へ、勝手知ったるで上がってゆけば。
リビングにつながるダイニングへ入ってきた敦に向けて、
機嫌の良さそうないいお声が軽やかに届いた。
対面式になっているキッチンカウンターの向こう、
コンロに向かって鍋をゆったりと掻き回している背中が見えて。
こちらの気配に気づいてだろう
肩越しに振り向いて来たのは、惚れ惚れするよな美丈夫の笑顔。
非番が重なっているのが判り、だったら前日から遊びに来いと言われてた。
非番と軽く言ったものの、お互い突発事態に呼び出されることも多い身の上で、
中也の場合、それは大所帯の組織幹部であるがゆえ、
余程によんどころのない事態への呼び出しだが、
敦の場合は単に人員不足という事情からが主なので、
ともすりゃあ非番自体が無しになっちゃうこともしばしばで。
そんな愛し子と少しでも一緒に居たいんだよと 照れもしないで掻き口説かれた結果、
今日みたいに前倒しで呼び出されるのも、どうかすると当然の段取りになりつつあり。
「腹減らしてきたか?」
もうちょっとだから向こうで待ってなと言われ、
含羞みつつも はいと頷き、薄手の上着を脱ぐと とりあえずは洗面所へ向かう。
手を洗い口を漱いで、リビングへ向かったものの、
「♪♪〜♪」
なにやら鼻歌混じりでいるらしいのが聞こえ、
ついつい扉のない戸口からダイニングを見やれば、
Tシャツにカーゴパンツなんていうざっかけない恰好に
シンプルな帆布のエプロンをした、
いかにも砕けた恰好の中也の姿が望めて。
“…えっとぉ。”
ほんの数歩という距離、じっと突っ立っているのも妙なもの。
現に中也の側が気付いたようで、
「??」
どうした?と目顔で訊いてくる。なので、
ちょろりと目線が泳いだものの、えいと意を決し、
パタパタ スリッパを鳴らしてその数歩を埋め、鍋を向いたままの兄人の背中へぎゅうとしがみつく。
「おいおい。」
「えへへぇ。////////」
笑ってしがみついたので甘えてのことと通じたようで。
そのまま目の前の柔らかい髪へ頬擦りすれば、
こんの甘えたがという苦笑まじりの声が届いた。
さすがにまだ頭一つというほどもの差はないけれど、
それでもその締まった体躯は懐にすっぽりと収まる。
あ、小さいなと思わないでもないけれど、それより硬くて頼もしいなと感じてしまう。
ちょっとした動きにうねる背中の躍動から、いかにも鍛えてますというのが伝わって来て、
カッコいいなぁと憧れてやまない。
でもねあのね、
“どうしよう、どうしよう。”
こんなしてぎゅってしたいと思うの、
中也さんからしたら “子供扱いすんな”とかそういう方向に感じられてしまったらどうしよう。
でもでも、そもそもの弾みがついたのは中也の側から。
先日、ものすごく冷え込んだ朝。
肩が出てたか 寒ッと目が覚めた敦の懐の中に、
彼もまた肌寒くての無意識にか、それは自然に潜り込んでいて。
端正な、しかも無防備な寝顔に内心で“うわぁわぁ”とパニくりつつも、
警戒してないからこそだろう、力を抜き切ってた柔らかい温みが凄く嬉しくて。
いつもの甘い良い香りも 寝具やリネンへ馴染んでの優しいそれになっていて、
何もかんもが中也と一緒くたになってることがとても幸せでvv
『…うわぁvv』
甘えてもらうのって嬉しいんだと、そんなこと覚えてしまっただけに、
なのにそのまま上手に運べないはしないだろう自分の不甲斐なさへ気がついての、
どうしたらいいものかというジレンマにハマっている今日この頃よ。
“…罪な人っていうんだろうな、こういうの。”
厳密に言えば、ぎゅってされたのへのドキドキも “可愛い〜”って思ってじゃあないのにね。
好きで好きでしょうがないからなのに、
上手に即妙に言葉を連ねられない自分では、どう言っても誤解されそうでそれも怖い。
なので、せめて“甘えています”の範疇で収まりそうな触れ方しかできない
そんな腰抜けぶりなのが自分でもトホホだと思う。
甘えてるだけなのになぁ、そもそもそこが後ろめたくって及び腰を誘うのかな。
“……。///////”
そんなこんな思いつつ、柔らかい髪に鼻先を埋めておれば、
「ほれ、出来たぞ。」
コンロの火を止めつつそうと声を掛けられて、ああハイと手を離す。
こちらを向いたお顔はにっかりとしたいつもの笑顔であり、
あああ、このお顔が一番好きと、ぱあっと笑い返すものだから、
さして重篤な想い詰めじゃあなさそうかなと一応は安堵しつつ、
“何か言いたいことがありそうなのになぁ。”
忘れちゃいけない、察しもいい重力使いの兄様なので、
とうに“微妙な敦くん”なのは見抜かれているのだが、
強引に“見通せてますよ”と訊いたものかどうかとそこは思案しているご様子で。
はてさて、どんな春一番が吹きますことなやら…。
to be continued.(19.03.26.〜)
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*骨が延びる仕組みがまた一歩解明されつつあるそうで。
それによるとまずは柔らかい組織が育って次に固く育つとかどうとか。
骨折治療などへの応用という研究だそうですが、
ついつい耳がダンボになってしまう変な奴です。(笑)
それはともかく。
ちょっと他のお話に寄り道してたので、
桜の時期を逃しちゃったよ、とほほ…。
お花見を絡ませたかったのになぁ。
段取り組み直さにゃあなぁ。

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